福岡家庭裁判所 昭和39年(家)1049号 審判 1965年1月19日
申立人 松田かずこ(仮名)
相手方 川井忠男(仮名) 外一名
主文
本件申立を却下する。
理由
申立人は、相手方両名は申立人に対しその扶養料として一時金八〇万円を支払うこととの審判を求め、その理由として、申立人は昭和二年四月一三日当時内縁関係にあつた相手方両名間に生れた庶子女であるが、相手方中村キヌは申立人を出産直後に相手方川井忠男と離別して昭和一一年一二月三日中村則男と再婚したが昭和二二年八月八日死別し、目下独身で全く余裕ある生活をなし、財産の点においては現在郵便局長をしている川井忠男をしのぐものがある。
申立人は幼少の頃小児麻痺に罹患して半身不自由となり、昭和一四年九月二七日松田春男の内妻田中ナミの養子にやられ、更に昭和一六年一〇月四日同人の養子になつたが、同養父は目下所在不明である。
申立人は上記の事情により生活能力がないので、昭和三三年に相手方川井忠男を相手取り扶養の調停申立をしたところ、昭和三四年四月一日同相手方は申立人に対し同月二八日までに毛糸編物機購入費として金二万五、〇〇〇円、同年一二月二一日までに申立人の更生資金として金一万円を夫々福岡家庭裁判所に寄託して支払う旨の調停が成立し、申立人は相手方川井忠男から二回に亘り一二万五千円の支払を受けたので、毛糸編物機を購入してその技術習得のため三ヵ月位先生の就いたが、先生から今の体の状態では他人の編物を引受けて内職することは無理であると言われたため、これを断念してしまい、また更生資金一〇万円も現在既に生活費等に使い果たし、なお昭和三九年三月には居住町内の健康診断で肺結核と診断され、不自由な体の上に一層不如意の身となつたので、実父母である相手方両名に対し申立人の生活資源として間貸しによる収入を得るに適当な八〇万円の売家があるためその購入資金を扶養料として一時金の支給を求めたい。若し一時金として八〇万円の支払が不能の場合は、相手方両名に対し毎月月額一万二、〇〇〇円宛の扶養料の支給を求めるため本件申立に及んだというのである。
そこで、本件記録添付の戸籍謄本、各戸籍抄本、相手方川井忠男に対する審問の結果、当裁判所調査官尾藤清一作成の昭和三九年七月二五日附、同年一〇月五日附、同年一一月二五日附の各調査報告書、民生委員高橋幹助作成の回答書、取寄に係る当庁昭和三三年(家イ)第四七七号申立人松田かずこ相手方川井忠男間の扶養調停申立事件記録、同調停申立事件について成立した調停調書謄本を綜合すれば、申立人は相手方両名間に昭和二年四月一三日出生した庶子女であるが、相手方中村キヌは申立人の出生当時相手方川井忠男と内縁関係を解消しその後相手方両名はいずれも再婚しているところ、申立人は生後間もなく小児麻痺に罹つて右半身不自由(但し炊事等可能)となり、既に乳幼児の頃から里子に預けられ、そのまま里親方の事実上養女になつて養育されているうち、昭和一四年一二才の頃事実上の養母が死亡したので一時相手方川井忠男方に帰つたものの、同相手方は再婚して居辛かつたため、同年福岡市明治町○園に里子として預けられ、同○園主松田春男の内妻田中ナミの養女となり、昭和一五年三月小学校卒業後同内妻の○園主と婚姻したため更に園主の養女になると共に芸妓になる目的で朝鮮に渡つたが、右半身不自由のため見込みがないところから遂に売春婦になつて朝鮮、満洲を転々とした後昭和二一年一月頃引揚げて養父松田春男方に一時身を寄せたが間もなく、福岡市内外の特飲店で従業婦となり稼働中、売春防止法の施行に伴い三三年三月廃業したものの正業には就かず、或る人の妾になり不安定な生活をしながら同年九月当裁判所に相手方川井忠男に対する扶養の調停を申立てた結果昭和三四年四月一日申立人の独立自活を期する趣旨を以て毛糸編物機購入費として金二万五、〇〇〇円更生資金として金一〇万円を相手方川井忠男から申立人に支払う旨の調停が成立し、申立人は上記金員を受領して毛糸編物機を購入したが、結局身に就かずして毛糸編物機を売却し、更生資金は生活費に費消してしまい、地道な勤労生活を嫌つて従来の夫妾生活を続けて来たところ、昭和三九年五月本妻がその夫妾関係を知つたため立腹の余り三人の子供を連れて家出し別居生活をするに至つたので、申立人はこの際夫妾関係を清算し貸間による収入を得られる家を購入して安定した生活を送りたいという考えの下に、かような家を購入する資金として一時金八〇万円の支給を相手方両名に請求したいが、若しその一時金の支給が不能の場合には、昭和三九年三月居住町内の健康診断の結果入院を必要としない程度の肺結核に罹つていることがわかつたので、この治療費も兼ね相手方両名から毎月月額一万五、〇〇〇円宛の生活費の支給を求めるため本件扶養の審判を申立てたので、先ず当事者間に調停を試みたところ、申立人の請求する扶養額、相手方両名の扶養能力、再婚事情、前回の調停の経緯等の点から調停は不成立に帰し、審判に移行したのであるが、申立人は現在も従前の夫妾関係を続け毎月約一五万、〇〇〇円宛の援助を受けている状況である。
一方養父松田春男は昭和三七年三月一〇日、養母松田ナミは昭和三五年一月二一日いずれも死亡しているところ、相手方川井忠男は資産として同人名義の宅地、住宅の外田五反六畝三歩、畑七反一畝一三歩、山林一町二畝一二歩を所有し、簡易郵便局長の名義人となつているところ、家族としては妻、長男(農業高校三年生)長女、その婿養子孫三人(中学校一年生一人小学校五年生二人)がいるも、家政は婿養子夫婦が担当し家業の農業は婿養子が経営を一任され、郵便局は他家に嫁した娘小山良子が事実上経営し、同相手方は隠居の身分で実権がなく、扶養家族が多いため生活費、営農費等の支出を差引くとむしろ赤字になる程度で、所得税は賦課されず家計も余裕のない生活状態であり、相手方中村キヌは亡夫中村則男(昭和二二年八月八日死亡)の先妻の長男方に同居し、長男は資産として長男名義の現住家屋及び宅地と田九反を所有して農業を営み、家族としてはその妻及び長男(高校一年生)二男(中学校一年生)があり、家庭円満で相手方中村キヌは現在長男の扶養を受け不安のない生活状態であることが認められる。
よつて、以上認定の事実関係の下で申立人の本件扶養申立の当否を検討してみると、申立人が身体障害者で小学校卒業程度の学歴しかなく、極めて不遇な環境のなかで成育し、倫落した経歴を有し、公的または私的の扶養援護を要する対象者であり、扶養の必要性があることは十分認められるところ、一方扶養義務者に扶養の能力があるかどうかという点については、養父母共既に死亡し、実父母である相手方両名が法定の扶養義務者として申立人を扶養すべき関係にあることはいうを俟たないけれども、相手方両名共老齢で家庭においては生活の実権を失い婿養子または義理の長男が夫々家政を主宰して家計の責任を持ち相手方両名はいずれ扶養を受ける身分乃至地位にあるものというべきであつて、相手方川井忠男には妻の外未成熟子である長男があり、その婿養子にも妻と未成熟子三人の生活保持(自己と同程度の生活を保持させる)の扶養義務を尽すべき同居家族があり、相手方中村キヌの義理の長男にも前同様生活保持の扶養義務を負担する妻と未熟子二人の同居家族があり、結局相手方両名は以上のような家族構成または家庭環境において申立人に対し生活扶助という親族間の一般私的扶養義務即ちその社会的地位身分に応じた現在の生活程度を阻害しない限度で余力があれば扶養すべき義務を果たす能力があるものとは容易に認め難いのである。殊に相手方中村キヌは申立人とその生後間もなく生別して以来交渉がなく、上記資料に徴すれば前回の調停の際においてさえ家族には内密にして自分が小遣銭として貰う金のうちから月々五〇〇円程度を扶養料として送金できるよう努力したいと衷情を訴えた程であり、今回の調査に当つては自分の実兄に懇願して応分の援助をして貰らわなければ自分には余分の金がなく自分に親切に尽してくれる義理の長男には本件をますます知られたくないと苦衷を述べているのである。また相手方川井忠男は前回の調停の際、上記資料に徴すれば申立人が更生施設に入所して何か職業を身に就けようという気持になるのであればその間の所要経費の開業資金位を負担してもよいが、そうでなければ一時金として金一〇万円を限度としこれを借金の上支給したいという心境にあつて申立人の勤労意欲がないことを嘆いていたところ、申立人は結局その期待に応えなかつたのであるが、本件の調査においては相手方川井忠男は申立人が全く働く意欲がないのに本件のように法外な扶養料を再三請求されその都度扶養料を支出しなければならないようでは同相手方の家庭は破壊されることになる。若し実父として本件において何程かの扶養料を支給しなければならないとすれば、勢い煙草銭でも節約して生活保護費の不足分を毎月何百円か補充する程度のことしかできないとの意向を洩らしているのであるが、当裁判所の調査官は前回の調停の際も本件の調査に当つても申立人のため身体障害者としての認定或は生活保護の申請を指導して調整活動を試みたが、申立人はこれを嫌い前回の調停前から引続き今日まで夫妾関係を続け最近は毎月約一万五、〇〇〇円程度の援助を受けて差当りの生活には不安がない状態であるところ、この夫妾関係を清算するために多額の一時金を要求して本件申立に及んでいるが、上記資料に徴すれば申立人は昭和二五年頃養父から金五万円、昭和三四年に前回の調停で合計一二万五、〇〇〇円を夫々受領しながらいずれもその企図は直ちに失敗しているようであり、本件においては実父である相手方川井忠男が最早申立人に生業資金を支給する能力は勿論その意欲さえも失つている状況でその居住地の民生委員もこれを是認しているのである。
そこで以上の説明で明かな通り、要するに、申立人において扶養を必要とする状態にあつても相手方両名の扶養義務者に扶養する能力がないか或は多少現在の生活に余力があつて幾分扶養可能の状態にあるとしても申立人に全然勤労意欲がなくまた本件を申立てる必要を生ずるに至つた点につき申立人にもその一半の責がある場合には、結局申立人の扶養の請求は民法上の親族間の一般私的扶養としては認容されず、永続的な公約扶助援護により身体障害者で不遇困窮の身である申立人の生活を確保してやるべきであると思料する。
よつて、申立人の本件申立を失当として却下することとし、主文の通り審判する。
(家事審判官 滝口隣)